
強度行動障害の支援手順書が、
現場で機能しない理由
強度行動障害の支援現場には、
ほぼ必ず「支援手順書」があります。
- この行動が出たらこう対応する
- 危険行為があればこう介入する
- 環境調整はこう行う
本来、
支援者を守るためのものです。
それでも現場では、
こんな声が出てきます。
- 「書いてある通りにできない」
- 「結局、その場判断になる」
- 「守れなかった時が怖い」
なぜ、支援手順書は
あるのに機能しないのか。
支援手順書は「迷わないため」に作られる
支援手順書の目的は明確です。
- 判断のブレを減らす
- 支援の質をそろえる
- 事故やトラブルを防ぐ
つまり、
現場の負担を軽くするための道具です。
ここまでは、
誰もが同意します。
問題は、
その使われ方です。
現場では「想定外」しか起きない
強度行動障害の支援では、
毎回同じ行動は起きません。
- タイミングが違う
- 環境が違う
- 表情が違う
- 前後の流れが違う
手順書に書けるのは、
あくまで「想定ケース」。
でも現場で起きるのは、
想定と想定のあいだです。
その瞬間、支援者はこうなる。
「書いてあるけど、
今はこれじゃない気がする」
「守れなかった手順書」が判断を増やす
本来、
手順書は判断を減らすもの。
でも実際は、
こう変質します。
- 手順書を守るべきか
- 目の前の状態を優先すべきか
- 逸脱したら説明できるか
つまり、
支援 + 手順書の正当化
二重の判断が発生します。
結果、
支援者の頭の中は常にフル回転。
手順書が「正解集」になる瞬間
いつの間にか、
支援手順書はこう扱われます。
- 書いてある=正しい
- 書いていない=危険
- 違う対応=ミス
この瞬間、
現場は萎縮します。
支援は柔軟性を失い、
「間違えないこと」が最優先になります。
これは、
支援の質が上がっている状態ではありません。
強度行動障害は「判断を伴う支援」
そもそも、
強度行動障害の支援は、
- 行動を見る
- 変化を読む
- その瞬間を選ぶ
判断そのものが支援です。
これは、
行動が激しいから難しいのではありません。
「どうするか」を、
常に現場が引き受け続ける構造
にある問題です。
この点については、
強度行動障害を
「行動の問題」としてではなく、
構造として捉える視点が欠かせません。
→
強度行動障害は「行動」の問題ではない|親・現場・制度から見えた真因
だから、
判断を完全に手順化することはできません。
手順書で支援を縛ろうとすると、
必ずどこかで破綻します。
問題は「手順書」ではなく「設計」
ここで、
はっきりさせます。
支援手順書が悪いわけではない。
作ること自体は必要です。
問題は、
- 判断の前提が共有されていない
- 逸脱した時の考え方が書かれていない
- 判断のプロセスが言語化されていない
つまり、
手順書“だけ”に頼っていることです。
本来、手順書に書くべきもの
機能する手順書には、
共通点があります。
- 「この行動の時は必ずこうする」ではない
- 「こう判断した時はこの選択肢がある」
- 「迷ったら、ここに戻る」
これは、
マニュアルではありません。
思考の地図です。
手順書が機能しない現場ほど、支援者が疲れる
手順書が現場と噛み合っていないと、
- 判断は個人任せ
- 責任も個人任せ
- フォローは後付け
結果、
「できる人」ほど消耗します。
この構造は、
研修を受けた支援者ほど顕著になります。
→
強度行動障害支援者養成研修を受けても現場が苦しくなる理由
手順書があっても現場が苦しい理由は、
支援が未熟だからではありません。
判断が個人に集中する構造が、
そのまま放置されている
からです。
この構造は、
研修・制度・現場の視点が分断されたままだと、
繰り返されます。
その全体像については、
以下の固定ページで整理しています。
支援手順書は「守らせるため」にあるのではない
本当に必要なのは、
- 判断を一人に集中させない
- 迷った時に立ち戻れる軸
- 判断を言葉にできる環境
手順書は、
支援者を縛るためのものではありません。
支援者が考え続けるための、
土台であるべきものです。
うまくいかないのは、あなたのせいじゃない
手順書が機能しないからといって、
あなたの支援が間違っているわけではありません。
それは、
現場の複雑さを、
書類が背負いきれていないだけ
です。

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