家庭・学校・放課後等デイサービスで見ているポイントがズレると、支援は噛み合わなくなる
「家ではこんなに大変なのに」
「学校では問題ありませんと言われる」
「放課後等デイサービスでは荒れてしまう」
この食い違いに、
戸惑ったことのある保護者は、
決して少なくありません。
誰かが嘘をついているわけではない。
誰かがサボっているわけでもない。
それでも、
話が噛み合わない。
その原因は、
見ているポイントが、根本的に違う
という一点にあります。
まず、家庭です。
家庭では、
親は子どもだけを見ているわけではありません。
家事があります。
仕事の疲れがあります。
きょうだいへの対応もあります。
「常に手を離さず、目を離さず」
それを一日中続けるのは、
現実的ではありません。
だから家庭で見えるのは、
どうしても
- はっきり困った行動
- 大きく荒れた場面
- 生活に支障が出た瞬間
になります。
小さな違和感や、
前兆に気づいていても、
対応しきれないこともある。
これは、
親の努力不足ではありません。
次に、学校です。
特に支援学校では、
一人の教員が、
複数の子どもを見ています。
学校がまず重視しているのは、
- 授業が成立しているか
- 大きな事故が起きていないか
- 集団として破綻していないか
です。
そのため学校の観察は、
個別の前兆や微細な変化よりも、
「外から見て支障が出ているかどうか」に寄ります。
学校の「問題ありません」は、
学校の基準では、
支障が表面化していない
という意味になります。
本人の内側の負荷や、
積み重なっているしんどさまで、
常に追い切れる設計ではありません。
一方、放課後等デイサービス、
特にふきのこの支援は、
前提が違います。
ふきのこでは、
手も離さず、
目も離さず
関わる時間を前提にしています。
行動が出るかどうかよりも、
行動の「前」を見る。
表情、動き、視線、反応。
いつもとの、
わずかな違い。
それを毎日積み重ねて観察します。
そのため、
「急に怒った」
「いきなり叩いた」
という見方は、
ほとんどしません。
必ず、
そこに至る流れがあるからです。
ここまでの話をまとめると、
支援が噛み合わなくなる原因は、
同じ出来事を見ていても、
見ている“焦点”が違う
という点にあります。
家庭は生活全体の中で、
大きな困りごとを中心に見る。
学校は集団の安全と成立の中で、
表面化した支障を中心に見る。
放課後等デイサービスは個別の安定のために、
前兆や手前の変化を中心に見る。
この前提が違うのに、
同じ基準で話をそろえようとすると、
必ずズレが出ます。
では、保護者はどうしたらいいのでしょうか。
まずは、
「どこが何を見ている場所か」
を整理することです。
誰が正しいかを決める前に、
役割を分けて考える。
次に、
家庭の中の判断軸を一つ決めます。
- 行動が出ていない=安定とは限らない
- 本人のしんどさが減っているか
- サインが受け取られているか
この視点で、
家庭の観察と言葉を揃える。
学校の評価と、
家庭での実感が違っても、
どちらかを否定する必要はありません。
見ているポイントが違うだけです。
そして最後に、
同じ見方を求めすぎない
ことです。
家庭に、ふきのこと同じ観察を求めない。
学校に、ふきのこと同じ前兆の拾い方を期待しすぎない。
現実的な線を引いた上で、
子どもにとって必要な環境を選ぶ。
支援が噛み合う家庭は、
この線引きが上手です。
この考え方に共感される方は、
ふきのこの支援方針もご覧ください。

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