
支援がうまくいかなくなる理由は、子どもではなく現場設計にある
支援の現場に立っていると、
「どうしてもうまくいかない日」があります。
声かけもしている。
配慮もしている。
安全にも気をつけている。
それでも行動が荒れる。
関係が崩れる。
現場の空気が重くなる。
そのたびに、
支援者は自分に問いかけます。
「自分の関わり方が悪かったのではないか」
「力量が足りないのではないか」
支援がつらくなる瞬間は、いつ起きているか
支援が苦しくなるのは、
行動が強く出た瞬間ではありません。
もっと前から、
静かにズレは始まっています。
予定の変更。
想定外の刺激。
本人の余裕が削られる時間。
それらが積み重なった先に、
行動として現れるだけです。
つまり、
支援が崩れるのは、
子どもが変わったからではなく、
環境が先に耐えられなくなっている。
「強度行動障害」が生まれる前に起きていること
現場ではよく、
行動が強く出た状態を
「強度行動障害」と呼びます。
しかし多くのケースで、
それは最初から固定された特性ではありません。
環境に合わない。
理解されない。
逃げ場がない。
そうした状態が続いた結果として、
行動が強くなっている。
状態としての「強さ」を、
属性としての「困難さ」にすり替えてしまうと、
支援の視点は一気に狭くなる。
→ 強度行動障害は「特性」ではなく「状態」として起きることが多い
支援者が無意識に背負わされている役割
現場の支援者は、
・行動を落ち着かせる
・集団を回す
・事故を起こさない
こうした役割を、
同時に求められます。
特に集団前提の現場では、
「回せるかどうか」が、
支援の評価軸になりやすい。
その結果、
支援者は
子どもの状態よりも、
現場の成立を優先せざるを得なくなる。
これは個人の姿勢の問題ではなく、
設計の問題です。
集団前提の設計が奪っているもの
集団での活動は、
うまくいけば効率が良い。
しかしその裏で、
- 立ち止まる余裕
- 関係を修復する時間
- 今日は無理という選択
こうしたものが、
少しずつ削られていきます。
結果として、
支援者は消耗し、
子どもは追い込まれる。
支援者が壊れないために必要な視点
支援を続けるうえで必要なのは、
技法や引き出しの多さではありません。
「今日はここまででいい」と
判断できる視点です。
できなかった理由を探す前に、
・環境はどうだったか
・刺激は多くなかったか
・逃げ道はあったか
そこを見直す。
それだけで、
支援の重さは変わります。
できる支援より、崩れない支援
支援の評価は、
「どれだけできるようになったか」
で測られがちです。
しかし現場に必要なのは、
崩れない状態をつくること。
荒れなかった一日。
大事が起きなかった時間。
それは決して
消極的な支援ではありません。
継続のための、最も重要な支援です。
この現場に立ち続けるために
支援は、
誰かが踏ん張り続けることで
成立するものではありません。
設計が人を守り、
環境が支援者を支える。
その前提がなければ、
どんな熱意も、
いずれ擦り切れます。
この考え方は、保護者向けにも整理しています。

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