強度行動障害とは、子どもの問題ではなく「現場が判断を背負わされる状態」

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強度行動障害とは、子どもの問題ではなく「現場が判断を背負わされる状態」

「強度行動障害」と聞くと、
多くの場合、行動の激しさや対応の難しさが語られます。

叩く、噛む、物を投げる。
確かに現象としては強い行動です。

ただ、現場に立っていると、
別の輪郭がはっきり見えてきます。

大変なのは行動そのものではない。
判断を引き受ける瞬間が、あまりにも多い。


現場で起きているのは「行動」ではなく「判断の集中」

強度行動障害のある子と関わる現場では、
一日の中で何度も判断を迫られます。

  • 今、声をかけるか
  • 距離を取るか
  • 場を変えるか
  • 止めるか、止めないか

これらは順番に来ません。
同時に、重なって来ます。

しかも、その場には

  • 他児がいる
  • 時間が決まっている
  • 人手が限られている

という条件が必ず存在します。

この状態で求められているのは、
「正しい対応」ではなく、
即断です。


判断には、必ず責任がついてくる

判断は、単なる行動選択ではありません。

  • 事故が起きたらどうするか
  • 誰が説明するのか
  • 記録にどう残るのか
  • 後からどう評価されるのか

現場の判断には、
常に結果責任が伴います。

それなのに、

  • 判断基準は明文化されていない
  • チームで共有されていない
  • 制度も想定していない

この状態で、
「現場で判断してください」
だけが置かれます。

これが、強度行動障害の現場で起きている現実です。


ある日の、ごくありふれた一場面

15時10分。
おやつの時間。

一日の中でも、
室内の音と動きが一気に増える時間帯だ。

テーブルを囲み、室内に7人。
それぞれが袋を触り、椅子を引き、声を出す。

一人の子が、他児の咳に反応して動きを止めた。

視線が他児に向く。
一瞬だが、睨むような仕草。

咳は次第に大きくなる。
その音に、周囲も気づき始める。

空気が張りつく。

その子は立ち上がった。

ここで、選択肢は三つしかなかった。

声をかけるか。
近づくか。
距離を取るか。

判断に使える時間は、せいぜい2秒。

声をかけなかったのは、
その声が落ち着かせるのではなく、
刺激として重なってしまう場面を、何度も見てきたからだ。

近づかなかったのは、
距離が詰まることで、
別の引き金になる場面を、
同じように何度も見てきたからだ。

動かない、という判断は、
いつも少し遅れる。

「介入しなかった」と言われる可能性が、
一瞬、頭をよぎる。

それでもこの場面では、
何かを足すより、
余計なことをしない方がいいと感じた。

視線は外さない。
距離も詰めない。
声も出さない。

ただ、
逃げ道だけを残す。

数秒後、
その子は立ち上がったまま、
一歩も前に出なかった。

やがて、
視線が外れ、
肩の力が少し抜けた。

そのまま、
自分から椅子に戻った。

この場面だけを見れば、
何も起きなかったと言える。

でも、
「何も起きなかった」の裏には、
これまで起きてきた無数の失敗がある。

声をかけて崩れた場面。
近づいて火がついた場面。
善意が引き金になった場面。

それらを全部背負ったうえでの、
2秒の判断だ。

強度行動障害の支援は、
正解を選ぶ仕事ではない。

失敗の確率を、
その場で一番低くする判断を、
何度も積み重ねる仕事だ。

だからときどき、
何もしない支援が、
一番重たい支援になる。

この判断を、
マニュアルに落とすことはできない。

研修で再現することも難しい。

それでも現場では、
こうした判断が、毎日のように積み重なっている。

名前も付かず、
評価も共有されず、
ただ終わっていく判断。

それが、
強度行動障害の現場だ。

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