
「落ち着いていました」という記録を見て、親が一番モヤっとする理由
放課後等デイサービスを利用していると、
連絡帳や記録にこう書かれていることがあります。
- 「様子を見ましょう」
- 「落ち着いています」
- 「今日も機嫌良く過ごしました」
一見すると、
特に問題があるようには見えません。
でも、これが毎回続くと、
親として心の中に浮かぶ感情があります。
「……本当に?」
親が感じる違和感は、責めたい気持ちではない
この違和感は、
放課後等デイサービスを責めたい気持ちから
生まれてくるものではありません。
親が思うのは、もっと素朴な疑問です。
- 今日は何をしていたんだろう
- 誰とも関わらず一日が終わったのだろうか
- 嫌なことも、困ったことも、何もなかった?
正直に言えば、
「じっと座って天井を見ていたのか?」
という感覚に近い。
これは皮肉でも批判でもなく、
状況が想像できなさすぎることへの戸惑いです。
親が知りたいのは、結論ではありません。
結論に至るまでの「材料」です。
「落ち着いていました」と書かれても、
親の頭の中では疑問が増えていきます。
- どの活動で落ち着いていた?
- 誰と関わって落ち着いていた?
- 切り替えはスムーズだった?
- 待つ場面はあった?
- 嫌だった場面はどう乗り越えた?
- 帰宅前はどんな表情だった?
「落ち着いている」という言葉は、
親にとって安心ではなく、
情報が省略された状態に見えることがあります。
家では、明らかに「何か」が起きている
記録では「機嫌良く過ごしました」。
でも家に帰ると、明らかに違います。
- ソワソワして落ち着きがない
- 動きが止まる時間が増える
- 目線を合わせようとしない
- 笑顔が少ない
- 一点を睨みつけるような視線
- 舌打ちのような声が増える
親は気づいています。
今日はしんどかった日だと。
だからこそ、
デイの記録との温度差にモヤっとします。
親は「トラブル報告」を求めているわけではない
ここは誤解してほしくありません。
親は別に、
- 問題点を探したい
- 失敗を報告してほしい
- 施設を監視したい
わけではありません。
親が知りたいのは、
- どんな場面があったのか
- どんな反応をしていたのか
- どこで踏ん張っていたのか
- どうやって一日が終わったのか
その子が生きていた一日の輪郭です。
親が記録で最低限ほしいのは、
実はたった3点です。
- ① 何をしたか(活動)
- ② そのときの様子(反応)
- ③ いつもと違う点(変化)
この3点があれば、
親は「今日はこういう日だった」と理解できます。
「何も起きていない日」は、ほとんどない
子どもにとって、
何も起きない一日はほぼありません。
例えば、
- 入室時の足取り
- 視線の動き
- 活動前の表情
- 音や人への反応
- 活動に入るまでの時間
その場では問題に見えない
小さな変化が積み重なっています。
それが拾われていない、
言葉にされていないだけです。
家庭の情報を見ないと、理由は見えてこない
家庭情報を見るというのは、
「昨日どうでしたか?」と聞くことではありません。
- 何時に寝たか
- 途中覚醒はあったか
- 朝食の内容と量
- 登校前の様子
- 休日の過ごし方
これを毎日聞くことで、
点が線になっていきます。
親が一番しんどいのは「情報の断絶」
家では荒れている。
でもデイでは「問題ありません」。
この断絶が、
親を一番追い詰めます。
これは「何もしていない」という話ではない
活動も関わりも、
実際には行われています。
ただそれが、
家庭とつながる言葉になっていないだけです。
親は完璧な支援を求めているわけではありません。
分かるようにしてほしいだけです。
次に見るべき視点
前兆に気づくことは大切です。
でも次に必要なのは、
子どもに見通しを持たせることです。

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