
気づいていたのに、止められなかった|現場で判断が遅れるときに起きていること
放課後等デイサービスの現場で、
行動が大きく崩れたあとに、こんな言葉を耳にすることがあります。
「気にはなっていたんです」
「少し違和感はありました」
「もう少し様子を見ようと思っていました」
これらの言葉は、
決して無責任さから出てきたものではありません。
多くの場合、
支援者は“何かがおかしい”ことに、すでに気づいています。
それでも判断が遅れ、結果として行動が起きてしまう。
ここには、
支援者個人の能力とは別の問題が存在しています。
この記事では、
前兆そのものではなく、
前兆に気づいていたにもかかわらず、判断が遅れてしまう構造について整理します。
「見えていた」のに、なぜ動けなかったのか
現場で判断が遅れるとき、
その背景にはいくつかの共通した状況があります。
まず多いのが、
「今ここで介入すると、かえって荒れるかもしれない」という迷いです。
声をかけるか。
距離を取るか。
環境を変えるか。
選択肢が複数あるほど、
判断は一瞬遅れます。
さらに、
他の子どもへの配慮も判断を鈍らせます。
活動の流れを止めたくない。
全体の雰囲気を崩したくない。
今は落ち着いているように見える。
こうした思考が重なると、
「まだ大丈夫かもしれない」という判断に傾きやすくなります。
この時点で、
前兆が“なかった”わけではありません。
判断が保留されただけです。
「もう少し様子を見る」が生むすり替え
判断が遅れたあと、
実際に行動が起きると、現場では別の言葉が使われ始めます。
「突然だった」
「予測できなかった」
「急にスイッチが入った」
しかし実際には、
その直前までに違和感は積み重なっていたことがほとんどです。
「もう少し様子を見る」という判断は、
時間を稼いだように見えて、
結果として何もしていない状態を作り出します。
そして行動が起きたあと、
「予測不能だった」という言葉が、
遅れた判断を正当化する役割を持ってしまいます。
ここで大切なのは、
誰かを責めることではありません。
この構造が、
多くの現場で無意識のうちに繰り返されている、
という事実です。
判断が早い現場は、正解を急いでいない
判断が早い現場ほど、
「正しい対応」を即座に決めようとはしていません。
むしろ、
迷ったときにどう動くかが、
あらかじめ共有されています。
迷ったら一度距離を取る。
違和感が出たら環境を切り替える。
個人判断にせず、すぐに合図を送る。
こうした取り決めは、
細かくマニュアル化されている必要はありません。
重要なのは、
迷っていいが、止まらない構造があることです。
判断が早い現場は、
支援者一人の勇気や経験に頼っていません。
判断が遅れた場合でも、
個人が責められない設計になっています。
見通しが、判断を助ける場面
ここで、
もう一つ見落とされがちな視点があります。
それが「見通し」です。
前兆を察知する力が重要なのは確かですが、
そもそも子どもが次に何が起こるのか分からない状態では、
不安が高まり、行動そのものが荒れやすくなります。
見通しが持てていない状態では、
子どもだけでなく、支援者側も判断の軸を持ちにくくなります。
その結果、
「もう少し様子を見よう」という迷いが生まれ、
介入のタイミングが遅れてしまうことがあります。
見通しは、
行動を抑えるための技法ではありません。
判断を早めるための前提条件です。
見通しについては、
それだけで一つのテーマとして整理する必要があるため、
別ページで詳しくまとめています。
保護者が、次に見るべき視点
もし今、
「なぜ止めてもらえなかったのか」
「なぜあの場面で判断が遅れたのか」
と悩んでいるなら、
その答えを、
子どもや家庭の中だけに探す必要はありません。
大切なのは、
その現場が、判断をどう扱っているかです。
見学や相談の際、
次のような点が見えるかどうかを、静かに見てみてください。
- 違和感が出たとき、すぐに共有されているか
- 判断を一人の職員に背負わせていないか
- 行動が起きたあと、その理由が整理されているか
- 「次はどうするか」が現場の中で共有されているか
これらが見える場所では、
支援はその場しのぎになりにくく、
積み重ねとして続いていきます。
保護者ができることは、
正しい答えを用意することではありません。
迷ったときに、
一緒に立ち止まり、
一緒に判断してくれる現場かどうかを見ること
それが、
次につながる一番現実的な選び方です。

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