なぜ保護者は学校の言葉を信じすぎてしまうのか――支援が崩れる瞬間
「学校では問題ありません」
「授業も落ち着いて参加できています」
「集団生活はできています」
これらの言葉を聞いて、
ほっとした経験のある保護者は、
少なくありません。
毎日必死で関わっている中で、
専門職である学校からそう言われると、
「大丈夫なのかもしれない」
そう思ってしまうのは自然なことです。
しかし、
放課後等デイサービスの現場から見ると、
この安心感が、
支援を崩すきっかけになる場面を、
何度も見てきました。
そもそも、
なぜ保護者は学校の言葉を、
ここまで強く信じてしまうのでしょうか。
理由は、
保護者の姿勢の問題ではありません。
学校が持つ立場と構造そのものが、
「正しさ」に見えてしまう
からです。
学校は公的機関です。
教員は専門職です。
評価や所見を書く立場でもあります。
この条件が揃うと、
人は無意識に、
「学校が言うなら正しい」
と受け取ります。
特に、
日々の対応に疲れているときほど、
その言葉は重く響きます。
しかし、
ここに大きな誤解があります。
学校の言葉は、
学校の評価軸で見た結果
でしかありません。
学校が見ているのは、
- 集団が成立しているか
- 大きな事故が起きていないか
- 授業が止まっていないか
です。
前兆や、
内側のしんどさ、
帰宅後に崩れるかどうか。
そこまでを、
日常的に追い続ける設計には、
なっていません。
つまり、
「問題ありません」=
「表面上、集団に支障が出ていない」
という意味です。
安定している、
負荷がない、
という保証ではありません。
それでも保護者が、
学校の言葉を優先してしまうと、
何が起きるのか。
よくある流れがあります。
放課後等デイサービスでは、
前兆を捉えて対応している。
家庭でも、
しんどそうな様子を感じている。
しかし学校からは、
「問題ありません」と言われる。
このとき、
多くの保護者は、
こう考え始めます。
「家での関わりが悪いのか」
「甘やかしているのか」
「厳しくした方がいいのか」
結果、
家庭での対応が変わります。
前兆を拾っていたのに、
様子を見る時間を減らす。
我慢させる。
学校基準に合わせようとする。
すると、
子どもにとって、
これまで通じていたサインが、
受け取られなくなります。
子どもは、
大人が思っている以上に、
環境の変化に敏感です。
「ここでは伝わる」
「ここでは伝わらない」
この違いを、
行動で学習します。
サインが通じない環境では、
より強い方法で、
伝えようとする。
それが、
行動として表に出たとき、
「急に荒れた」
と評価されます。
しかし実際には、
急ではありません。
判断軸が切り替わった結果
です。
ここで大切なのは、
学校を否定することではありません。
学校には、
学校の役割があります。
集団を安全に回すこと。
教育課程を成立させること。
それは、
とても重要な仕事です。
ただし、
学校の評価を、
そのまま「子どもの安定」と
結びつけてしまうこと
には、
注意が必要です。
では、
保護者はどうしたらいいのでしょうか。
まず一つ目は、
学校の言葉を、
「学校基準の情報」として受け取る
ことです。
正しい・間違いではなく、
「どの軸の話か」を意識する。
二つ目は、
家庭の判断軸を持ち続けること。
・帰宅後の様子
・表情や疲れ方
・翌日の荒れやすさ
これらは、
家庭でしか見えません。
三つ目は、
放課後等デイサービスなど、
前兆を扱っている支援の視点を、
大切にすることです。
そこが合っているなら、
学校の評価と違っていても、
不安になる必要はありません。
保護者がすべてを背負う必要はありません。
ただ、
判断軸を預けすぎないこと。
それだけで、
支援は崩れにくくなります。
子どもにとって大切なのは、
どこが一番「分かってくれる場所」か。
その視点を、
手放さないでください。
この考え方に共感される方は、
ふきのこの支援方針もご覧ください。

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