
▶ 強度行動障害の支援方法
ふきのこが「関わり方のズレ」で崩れる子を重く見る理由
子どもが崩れる時、
大人はつい
「その子の状態が悪かったのだろう」
「もともと今日は不安定だったのだろう」
と考えやすくなります。
もちろん、それが当たっている場面もあります。
睡眠不足、疲労、身体不快、感覚過負荷、見通しの切れ。
そうした要因で子どもが上がりやすくなることは確かにあります。
ですが、ふきのこでは、子どもの崩れを本人の状態だけで説明しません。
なぜなら、
実際にはその子のしんどさだけではなく、
大人の関わり方とのズレによって崩れが強くなることがかなりあるからです。
たとえば、
声かけの量が多すぎた、
今は待つべき場面で急いでしまった、
説明が本人の処理量を超えていた、
良かれと思って距離を詰めたことが逆に圧になった。
こうしたことは、
外から見ると「子どもが急に崩れた」ように見えます。
でも実際には、
その崩れの一部は
関わり方との噛み合わなさ
として起きていることがあります。
だから、ふきのこでは、
崩れた時にまず
「この子が不安定だった」
だけで終わらせず、
こちらの関わり方はその子に合っていたのか
をかなり重く見ます。
支援は「良い関わり」なら必ず通るわけではありません
ここはかなり重要です。
支援者の中でよくある思い込みの一つに、
「丁寧に関われば通るはず」
「優しく伝えれば入りやすいはず」
「分かりやすく説明すれば落ち着くはず」
というものがあります。
これは半分正しくて、半分危ないです。
確かに、
関わりが荒いより丁寧な方がいい。
威圧より柔らかい方がいい。
雑な指示より見通しのある言葉の方がいい。
でも、それは
その子に今その関わりが入る状態なら
の話です。
どれだけ丁寧でも、
今のその子にとって重ければ、
それは支援ではなく負荷になります。
つまり、
「良い関わり」かどうかは、
関わる側の意図だけでは決まりません。
その子にどう入ったか、
その瞬間の状態に合っていたかまで見ないと、
本当に良い関わりだったかは分からないのです。
ふきのこが先に見るのは、「何をしたか」だけでなく「どう入ったか」です
ふきのこでは、
崩れた時や入りにくかった時、
大人の行動を
「優しかったか」
「丁寧だったか」
だけで評価しません。
それより先に、
- その声かけは要求として入っていなかったか
- その距離の取り方は圧になっていなかったか
- その説明量は多すぎなかったか
- そのタイミングは遅すぎなかったか
- その手伝い方は本人の不安を上げなかったか
- その関わりは、その子の今の状態に合っていたか
を見ます。
つまり、
関わりの正しさを
「支援者の意図」ではなく、
子どもへの入り方
で判断します。
同じ声かけでも、
ある子には安心になる。
別の子には圧になる。
同じ距離の詰め方でも、
ある子には支えになる。
別の子には追い込まれる感じになる。
ここを雑にまとめると、
支援はすぐズレます。
なぜ「関わり方のズレ」を重く見るのか
1. 子どもの崩れを、本人の問題だけにしないためです
子どもが崩れると、
どうしても目立つのは子どもの行動です。
だから、
- 切り替えが苦手
- 不安定
- こだわりが強い
- 刺激に弱い
といった説明に寄りやすくなります。
もちろん、それ自体に間違いはありません。
でも、それだけだと、
支援の側のズレが見えなくなります。
本当は、
関わり方の重さ、
タイミングの悪さ、
説明の多さ、
距離の近さ、
期待のかけ方が、
その子をさらに苦しくしていたかもしれない。
だから、ふきのこでは
子どもの崩れを見た時ほど、
こちらの入り方も支援対象として見直します。
2. 同じ子でも、関わる人で崩れ方が違うことがあるからです
ある支援者だと入りやすい。
別の支援者だと止まりやすい。
ある人の時は崩れないのに、
別の人の時は急に上がる。
こうしたことは珍しくありません。
この時、
「相性」で片づけると支援は止まります。
でも実際には、
- 声量
- 間の取り方
- 言葉数
- 待ち方
- 近づく速さ
- 触れ方
など、細かいズレがあることがあります。
つまり、
関わり方の違いはかなり具体的に存在します。
そこを見れば、
「相性」で終わらず、
チームで再現できる支援に近づきます。
3. 良かれと思った支援ほど、ズレた時に気づきにくいからです
厳しく怒鳴ったなら、
負荷になったことは比較的分かりやすいです。
でも実際に問題になりやすいのは、
支援者が善意でやっていることの方です。
たとえば、
- 安心させようとして言葉を増やす
- 助けようとして距離を詰める
- 分かりやすくしようとして説明を足す
- 成功体験を作ろうとして押してしまう
これらは全部、
意図としては良いものです。
でも、その子の状態に合っていなければ、
結果として重くなります。
そして善意であるほど、
「支援したのに崩れた」
としか見えず、
関わり自体のズレに気づきにくいのです。
4. 関わり方が合うだけで、同じ子の崩れ方が変わることがあるからです
ここが希望でもあります。
子どもの特性をすぐに変えることはできなくても、
関わり方のズレを減らすことはできます。
たとえば、
- 声を減らす
- 距離を少し離す
- 待つ時間を長くする
- 説明を短くする
- 選択肢を減らす
- 近づく前に予告する
それだけで、
崩れ方がかなり変わる子がいます。
だからこそ、
ふきのこでは
「その子が難しい」
で終わらせず、
こちらの関わり方を修正する余地
を重く見ます。
児童発達支援・放課後等デイサービスでは、関わりのズレが“支援の熱心さ”に隠れやすいです
児童発達支援や放課後等デイサービスでは、
支援者は基本的に熱心です。
何とかしたい。
入れてあげたい。
参加させたい。
成功体験につなげたい。
その思いがあるからこそ、
関わりは増えやすくなります。
でも、この熱心さが
時にズレを隠します。
たとえば、
- 何度も声をかける
- 繰り返し説明する
- 近くで支え続ける
- 手を添えてでも通そうとする
こうした関わりは、
支援者の目には
「一生懸命関わっている」
ように見えます。
でも子どもからすると、
それが
「逃げ場がない」
「ずっと要求されている」
「自分のペースがなくなる」
というしんどさになることがあります。
だから、ふきのこでは
支援の熱量そのものを否定しない一方で、
その熱量がその子にどう入っているか
を必ず見直します。
支援全体の土台になる考え方は、
こちらの記事でも詳しく整理しています。
強度行動障害の支援方法|爆発前・爆発中・回復期の具体対応と判断設計
関わり方のズレを見ることは、支援者を責めることではありません
ここはかなり大事です。
関わり方のズレを重く見ると言うと、
「じゃあ支援者が悪かったのか」
という話に聞こえることがあります。
でも、ふきのこが見たいのは
責任ではありません。
見たいのは、
- どこで重くなったのか
- 何がその子に圧として入ったのか
- どうすれば次はもう少し軽く関われるか
です。
支援者を責め始めると、
現場は守りに入ります。
でも、
ズレを一緒に見直せるようになると、
現場は少しずつ柔らかくなります。
つまり、
関わり方のズレを見ることは、
支援者を萎縮させるためではなく、
チーム全体の支援精度を上げるため
に必要なのです。
ふきのこの支援観では、「子どもの問題」だけで終わる見方を避けます
ふきのこの支援観シリーズでは、
困りごとを
子どもの内側だけで説明しすぎないことを重視しています。
なぜなら、
支援は関係の中で起きるものだからです。
子どもの状態、
場面、
環境、
身体、
そして大人の関わり。
それらが重なったところで、
行動は立ち上がります。
だから、
「その子が不安定だった」
だけで終わるのではなく、
関わり方とのズレがなかったか
まで含めて見る必要があります。
支援観シリーズ一覧は、こちらから見られます。
ふきのこの支援観
ふきのこで大切にしていること
ふきのこでは、
子どもが崩れた時に、
その子の特性や状態だけを見ません。
そうではなく、
- こちらの関わり方は重くなかったか
- 言葉は多すぎなかったか
- 距離の取り方は合っていたか
- 待つべき場面で急いでいなかったか
- 良かれと思ったことが逆に負荷になっていなかったか
を見ます。
大切なのは、
子どもだけを支援対象にすることではなく、
関わり方そのものも調整の対象として見ること
です。
ふきのこの支援や事業所の概要については、
こちらをご覧ください。
ふきのこについて
まとめ
ふきのこが「関わり方のズレ」で崩れる子を重く見るのは、
子どもの崩れが本人の特性だけで起きているとは限らず、
大人の入り方との噛み合わなさで強くなることが少なくないからです。
大切なのは、
「この子が難しい」で終わることではなく、
どの関わりが重くなり、どの入り方なら通りやすいのかを丁寧に見ること
です。
その視点があると、
支援は子どもだけを変えようとするものではなく、
関係全体を少しずつ合う形へ整えていくものに変わっていきます。
強度行動障害の支援方法を体系的にまとめています

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