親だった私が、「外では大丈夫です」で救われなかった理由

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具体的な支援の組み立て方や現場での対応手順については、以下の専門ページで詳しく解説しています。
強度行動障害の支援方法

親だった私が、「外では大丈夫です」で救われなかった理由

子どものことで相談をした時、
親が言われることのある言葉に、
「外では大丈夫です」
があります。

この言葉は、一見すると安心材料のように聞こえます。

学校では大きな問題がない。
事業所では落ち着いている。
外出先では何とか過ごせている。
集団の中ではそこまで目立たない。

そう言われると、
周囲から見れば
「それなら大丈夫なのでは」
と思われやすいです。

でも、親としてその言葉を受け取る側に立つと、
必ずしも救われるとは限りません。

むしろ私は、
「外では大丈夫です」と言われるほど苦しかったこと
があります。

なぜなら、
家では全然大丈夫ではなかったからです。

帰宅後に崩れる。
家族にだけ強く当たる。
食事、排泄、入浴、就寝前で止まる。
些細なことで一気に荒れる。
親の前でだけ張っていたものが切れる。

そういう現実があるのに、
「外では大丈夫です」と言われると、
親は安心するどころか、
この大変さは私にしか見えていないのか
という孤立感を持ちやすくなります。

だから私は今のふきのこで、
「外では大丈夫です」という言葉を、
そのまま安心材料としては使いません。

「外では大丈夫」は、事実であることもあります。でも、それだけでは全く足りません

まず、ここははっきりさせたいです。

「外では大丈夫です」という言葉が、
全部間違いだと言いたいわけではありません。

実際に、

  • 大きな他害がなかった
  • 活動に参加していた
  • 集団の流れに入れていた
  • 周囲とのトラブルが少なかった
  • 支援者の声かけで何とか動けていた

という意味では、
外では比較的保てていたのかもしれません。

でも問題は、
その言葉だけで話が終わることです。

外で大丈夫そうに見えたことと、
その子が本当に楽に過ごせていたことは同じではありません。

また、
外で大丈夫そうだったことと、
家での困りごとが小さいことも同じではありません。

つまり、
「外では大丈夫」は観察の一部ではあっても、
親子の生活全体を説明する言葉には全くなっていない
のです。

親が苦しいのは、「外では大丈夫」と言われた瞬間に、家の大変さが軽くなることです

親が本当に苦しいのは、
ただその言葉を聞くことではありません。

苦しいのは、
その言葉によって、
家で起きていることが
“例外”や“家庭の問題”のように扱われやすくなることです。

たとえば、

  • 外で頑張れているなら、家では甘えているのではないか
  • 家庭での関わり方に問題があるのではないか
  • 親の受け取り方が重すぎるのではないか
  • 本当はそこまで困っていないのではないか

こんなふうに、
親の現実が少しずつ削られていくことがあります。

でも、親からすると現実は逆です。

外で何とか保っているからこそ、
家で崩れる。
外で張っているからこそ、
家で全部出る。
外で見せていないしんどさが、
家庭に集中している。

そこが見えていないまま
「外では大丈夫」と言われると、
親は安心するどころか、
この大変さは理解されないのだ
と感じやすくなります。

私が救われなかったのは、「外で見えている姿」が全てのように扱われたからです

親として苦しかったのは、
外で見えている姿が、
その子の全体像のように扱われることでした。

でも実際には、
子どもの生活は外だけでできていません。

家に帰ってからの姿があります。
朝の支度があります。
食事があります。
排泄があります。
入浴があります。
寝る前があります。
きょうだいとの関わりがあります。
休日の過ごし方があります。

そこまで全部含めて、その子の生活です。

なのに、
外の数時間だけを見て
「大丈夫です」
で終わると、
生活の一番重いところが抜け落ちます。

私は親として、
そこが本当に苦しかった。

わが子の一部だけを見て
「大丈夫」と言われても、
家で毎日向き合っている現実とはつながらなかったからです。

外で頑張れてしまう子ほど、家で強く崩れることがあります

これは、今の支援でもかなり大事にしている視点です。

子どもの中には、
外でかなり頑張れてしまう子がいます。

たとえば、

  • 集団の空気を読んで何とか合わせる
  • 見られていると固まりながら通す
  • 嫌でも反応を抑えてその場にいる
  • 先生や支援者の前では張って保つ

こういう子は、
外では「大丈夫」に見えやすいです。

でも、その分だけ、
家に帰ってから

  • 急に怒りっぽくなる
  • きょうだいに強く出る
  • 些細なことで大崩れする
  • 食事や入浴で止まる
  • 寝る前に張っていたものが切れる

ことがあります。

つまり、
「外では大丈夫」は、
その子が外で困っていない証拠ではなく、
外で頑張りすぎているサイン
であることすらあります。

ふきのこでは、「外では大丈夫」と言われた時ほど、家で何が起きているかを聞きます

今のふきのこで私が大事にしているのは、
外での様子を聞いた時に、
そこで安心して話を終わらせないことです。

むしろ、
「外では大丈夫」と聞いた時ほど、
私は家での様子を知りたくなります。

たとえば、

  • 帰宅後はどうか
  • 食事や排泄はどうか
  • 就寝前はどうか
  • 休日はどうか
  • 誰に対して強く出やすいか
  • どんな前兆があるか

を見ます。

なぜなら、
その子のしんどさがどこで出るかは、
外だけでは分からないからです。

そして、
家庭で出ていることこそ、
本当は一番大事な手がかりであることが多いからです。

「外では大丈夫」は、親を安心させる言葉に見えて、親を孤立させることがあります

親は、安心したくないわけではありません。
むしろ安心したいです。

でも、
現実とつながらない安心は、
長くは支えになりません。

外では大丈夫と言われる。
でも家では毎日大変。
このズレが積み重なると、
親はだんだん
「この大変さは自分にしか分からない」
と感じやすくなります。

それは、
問題が軽くなるどころか、
親を深く孤立させます。

だから私は今、
保護者に対して
その場しのぎの安心を渡すのではなく、
生活全体が見える言葉
を渡したいと思っています。

私が今のふきのこで大切にしているのは、「外の姿」と「家の姿」を分けないことです

今のふきのこで私が省きたくないのは、
外で見えている姿だけでその子を理解したことにしないことです。

支援者から見えるその子。
親から見えるその子。
学校や事業所でのその子。
家でのその子。

その全部をつなげて見ないと、
本当の意味でその子に何が起きているのかは分かりません。

だから、
「外では大丈夫」を聞いた時に、
私はそこで終わりません。

むしろ、
家ではどうですか、
外の後に何が起きますか、
どこで一気にしんどくなりますか、
と聞きます。

それがないと、
支援は家の現実から切れたものになってしまうからです。

外で大丈夫かどうかではなく、生活全体で保てているかが大事です

私が親として救われたかったのは、
「外では大丈夫だから安心してください」
という言葉ではありませんでした。

本当に欲しかったのは、

  • 外ではこう見えている
  • でも家ではこうつながるかもしれない
  • ここに負荷がありそう
  • このあたりを一緒に見ていきましょう

という、
生活全体を見た共有でした。

だから今のふきのこでは、
その子が外で大丈夫そうに見えたとしても、
それだけで支援を評価しません。

本当に見たいのは、
その子が家庭を含めた生活全体の中で、どこまで無理なく保てているか
です。

ふきのこの支援観は、「家での困りごと」を支援の外に置きません

ふきのこの支援観は、
外で見える行動だけを整理するものではありません。

家庭で何が起きているか。
親がどこで困っているか。
どこに反動が出ているか。
どこで張っていたものが切れるか。

そこまで含めて、
支援の対象だと考えています。

この考え方は、こちらの支援観シリーズにもつながっています。
ふきのこの支援観

また、支援全体の土台になる考え方は、
こちらでもまとめています。
強度行動障害の支援方法|爆発前・爆発中・回復期の具体対応と判断設計

ふきのこで大切にしていること

親だった私が、今のふきのこで大切にしているのは、
「外では大丈夫」という言葉で親を終わらせないことです。

そうではなく、

  • 家で何が起きているか
  • 外でどれだけ頑張っているか
  • どこに反動が出ているか
  • どこでしんどさが噴き出しているか
  • 生活全体の中でどこを支えるべきか

を見ます。

大切なのは、
外で問題が少ないことだけを見ることではなく、
家庭を含めた全体の中で、その子が本当に保てているかを見ること
です。

ふきのこの支援や事業所の概要については、
こちらをご覧ください。
ふきのこについて

まとめ

親だった私が、「外では大丈夫です」で救われなかったのは、
その言葉が事実であったとしても、
家で起きている大変さや、親が毎日向き合っている現実までは全く含んでいなかったからです。

大切なのは、
外で崩れていないことだけで安心することではなく、
外でどう保っていて、家で何が起きていて、その子のしんどさがどこに出ているのかを一緒に見ること
です。

だから今のふきのこでは、
「外では大丈夫」という言葉で親を終わらせません。
それは、親を安心させるようでいて、親を孤立させることがあると知っているからです。

「親だった私が、今のふきのこで大切にしていること」シリーズ

私自身が親として感じてきた苦しさや違和感は、今のふきのこの支援や共有のあり方に強く影響しています。
このシリーズでは、親だった私だからこそ、今のふきのこで絶対に省かないこと、大切にしていることをまとめています。

       強度行動障害の支援方法を体系的にまとめています

       ▶ 強度行動障害の支援方法【構造・前兆・実践まで解説】        

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