
▶ 強度行動障害の支援方法
親だった私が、預けて終わりの支援にしたくない理由
子どもを支援の場に預ける時、
親がまず求めるものの一つは、
やはり「安心して預けられること」だと思います。
それは、とても現実的で切実な願いです。
家でずっと気を張っている。
一日の流れを回すだけで精一杯になる。
食事、排泄、移動、入浴、就寝まで、
どこか一つ崩れるだけでも家全体が止まりやすい。
そういう生活の中で、
数時間でも子どもを安心してお願いできる場所があることは、
親にとって本当に大きいです。
私自身、その重さを知っています。
私の息子は、
最重度の自閉症、知的障害、強度行動障害
があります。
だから私は、
「預けられること」がどれほど大きいかを、
理屈ではなく生活として知っています。
安全に過ごせる場所があること。
数時間でも親の緊張が少し緩むこと。
家庭の流れがいったん整え直せること。
それが、どれだけ必要かは分かっています。
でも同時に、
私は親として強く感じてきました。
預けられることは大事。でも、預けて終わりでは足りないと。
だから今のふきのこでは、
預かる機能を大事にしながらも、
それだけで役割を終えたくないと思っています。
- 預けられること自体が、まず大きな支えです
- でも、親として苦しかったのは「預けられるのに、生活は何も軽くならない」ことでした
- 預けるだけで終わると、親は「休めたはずなのに苦しい」状態になりやすいです
- 私が今のふきのこで大事にしているのは、「預かること」より「生活につなげること」です
- 重い子ほど、「預け先」ではなく「見立てのある場所」が必要になります
- 預けて終わりにしないとは、親に負担を増やすことではありません
- 私は、親が「預けたのに何も残らない」と感じる支援にしたくありません
- 今のふきのこで、私が預けて終わりにしないために省かないこと
- ふきのこの支援観は、「預かる」だけでなく「親子の生活全体を見る」ことにあります
- ふきのこで大切にしていること
- まとめ
- 「親だった私が、今のふきのこで大切にしていること」シリーズ
預けられること自体が、まず大きな支えです
ここは、きれいごと抜きで言いたいです。
支援の場に子どもを預けられることは、
それ自体が大きな支援です。
特に、
重度の子、
強度行動障害のある子、
発語が少なく状態把握が難しい子、
生活全体に強い支えが必要な子では、
親は一日中かなり高い緊張の中で過ごしています。
だから、
数時間でも安全に過ごせる場所があることは、
単なる便利さではありません。
親が呼吸を整える時間になることがあります。
きょうだいと向き合う時間になることがあります。
家庭を立て直すための最低限の余白になることがあります。
私は、そこを軽く扱いたくありません。
レスパイトは大事です。
預けられることは大事です。
これは本当にそうです。
でも、親として苦しかったのは「預けられるのに、生活は何も軽くならない」ことでした
私が親として感じてきた苦しさの一つは、
預けられることと、
生活全体が軽くなることが、
必ずしも同じではないということでした。
預けている時間はある。
でも、
家に帰ってきた後のしんどさは変わらない。
むしろ反動が強い日もある。
何が起きていたのか分からないまま、
また同じように夜を迎える。
つまり、
預けられてはいる。
でも、
生活の一番重いところは、
結局家庭の中に残ったままになる。
これはかなり苦しいです。
親が本当に困っているのは、
預けている時間そのものだけではありません。
帰宅後に何が起きるか。
どこで崩れるか。
何が地雷になるか。
どういう日はきつくなるか。
何を見ておけば少し早く気づけるか。
そこが見えないままだと、
預けることはできても、
暮らし全体はなかなか楽になりません。
預けるだけで終わると、親は「休めたはずなのに苦しい」状態になりやすいです
これは、外からは見えにくい苦しさです。
子どもを預けられているのだから、
少しは楽になっているはず。
支援を使えているのだから、
少しは回っているはず。
そう見られやすいです。
でも実際には、
預けていても苦しいことがあります。
なぜなら、
- 何をしていたのか分からない
- どんな状態だったのか見えない
- 異変のサインが共有されない
- 家でつながる見方が増えない
- 帰宅後の崩れとの関係が整理されない
と、
親は結局、
家庭の中で手探りを続けることになるからです。
つまり、
預けられていることと、
親が本当に支えられていることは、
同じではありません。
私は親として、
ここをかなり強く感じてきました。
私が今のふきのこで大事にしているのは、「預かること」より「生活につなげること」です
今のふきのこで私が大事にしているのは、
預かること自体を軽く見ることではありません。
むしろ逆です。
預かることの重さを知っているからこそ、
そこで見えたことを
家庭につなげたいと思っています。
たとえば、
- どういう時に表情が変わったのか
- 何が支えになっていたのか
- どの活動にどう入っていたのか
- どこで少し無理が見えたのか
- 帰宅後に反動が出そうかどうか
- 家庭でも見ておいた方がいいことは何か
こうしたことを共有できると、
預けていた時間が、
単なる預かり時間ではなく、
生活全体を少し理解しやすくする時間に変わります。
私は、そこまで行って初めて、
支援は親子の生活に入っていけると思っています。
重い子ほど、「預け先」ではなく「見立てのある場所」が必要になります
最重度の自閉症、
知的障害、
強度行動障害。
こうした重さがある子の生活では、
ただ安全に過ごせる場所があるだけでは足りないことがあります。
なぜなら、
一つ一つの困りごとが、
単純な行動の話では終わらないからです。
食事一つ、
排泄一つ、
移動一つ、
切り替え一つにしても、
感覚、不安、身体不快、見通し、関係、過去経験が重なっています。
だから、
預けることができても、
そこに見立てがなければ、
家庭には「大変だった事実」だけが残りやすいです。
私は親として、
そこにしんどさを感じてきました。
だから今は、
預かる場所である前に、
その子に何が起きているのかを一緒に見る場所
でありたいと思っています。
預けて終わりにしないとは、親に負担を増やすことではありません
ここは誤解されたくないところです。
預けて終わりにしないと言うと、
親にももっと頑張ってもらう、
もっと家庭で取り組んでもらう、
という話に聞こえることがあります。
でも、私が言いたいのはそうではありません。
親は、もう十分頑張っています。
だから必要なのは、
さらに宿題を増やすことではなく、
親が見えないまま抱えているものを、
少しでも見えるようにすることです。
わが子に何が起きているのか。
どこで苦しくなるのか。
何が少し支えになっているのか。
何を気にすると早く分かるのか。
それが見えるだけでも、
親の負担の質は変わります。
つまり、
預けて終わりにしないというのは、
親に仕事を増やすことではなく、
親が一人で背負わなくていい状態を少しでも増やすこと
です。
私は、親が「預けたのに何も残らない」と感じる支援にしたくありません
預けている。
でも、
家での困りごとはそのまま。
見方は増えない。
情報も薄い。
何が起きていたか分からない。
結局、また同じ手探りに戻る。
こうなると、
親の中には
「預けたけれど、何も残らなかった」
という感覚が残ることがあります。
私は、これを減らしたいです。
預けている時間の中で、
何か一つでも
- わが子の理解が深まる
- 家庭での見方が増える
- 異変に気づきやすくなる
- 次の生活が少し回りやすくなる
そういうものが残ってほしい。
親だった私が、今のふきのこで大事にしているのはそこです。
今のふきのこで、私が預けて終わりにしないために省かないこと
今のふきのこで、
私が預けて終わりにしないために省かないようにしているのは、
- その子がどう過ごしていたか
- どこで変化があったか
- 何が支えになっていたか
- 何が少し重かったか
- 家庭でつながる視点は何か
- 親が次にどう見ればいいか
です。
これは、連絡帳にも、
日々の共有にも、
ケースの見方にも出る部分です。
なぜなら、
親として本当に欲しかったのは、
“預けられた事実”だけではなく、
その時間が生活全体につながること
だったからです。
ふきのこの支援観は、「預かる」だけでなく「親子の生活全体を見る」ことにあります
ふきのこの支援観は、
事業所の中だけ整えるためのものではありません。
家庭で何が起きているか。
どこに負荷が集中しているか。
何が親を苦しくさせているか。
どこで子どもが張っているか。
そこまで含めて、
支援は考えられるべきだと思っています。
この考え方は、こちらの支援観シリーズにもつながっています。
ふきのこの支援観
また、支援全体の土台になる考え方は、
こちらでもまとめています。
強度行動障害の支援方法|爆発前・爆発中・回復期の具体対応と判断設計
ふきのこで大切にしていること
親だった私が、今のふきのこで大切にしているのは、
預けられることの重さを認めた上で、
それだけで終わらせないことです。
そうではなく、
- 預けている時間が見えること
- わが子の理解が深まること
- 家庭での見方につながること
- 親が一人で抱え込まなくていいこと
- 生活全体が少しでも回りやすくなること
を大切にしています。
大切なのは、
預かることそのものではなく、
預かった時間が親子の生活を少しでも支えるものとして残ること
です。
ふきのこの支援や事業所の概要については、
こちらをご覧ください。
ふきのこについて
まとめ
親だった私が、預けて終わりの支援にしたくないのは、
私自身が、
最重度自閉症・知的障害・強度行動障害のある息子を育てる中で、
「預けられること」の大きさも、
「預けられても生活の一番重いところは残る」現実も知っているからです。
だから今のふきのこでは、
預かることを大切にしながらも、
それだけで役割を終わらせません。
大切なのは、
預かった時間が、親子の生活全体を少しでも理解しやすくし、回りやすくし、親を孤立させない形で返っていくこと
です。
そのために、ふきのこは「預け先」ではなく、
親子の生活に少しでも意味を返せる場所でありたいと考えています。
「親だった私が、今のふきのこで大切にしていること」シリーズ
私自身が親として感じてきた苦しさや違和感は、今のふきのこの支援や共有のあり方に強く影響しています。
このシリーズでは、親だった私だからこそ、今のふきのこで絶対に省かないこと、大切にしていることをまとめています。
強度行動障害の支援方法を体系的にまとめています

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