親だった私が、今のふきのこで絶対に省かないこと

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具体的な支援の組み立て方や現場での対応手順については、以下の専門ページで詳しく解説しています。
強度行動障害の支援方法

親だった私が、今のふきのこで絶対に省かないこと

ふきのこで支援をしていると、
「なぜそこまで細かく見るのですか」
「なぜ連絡帳をそこまで書くのですか」
「なぜ保護者への共有をそこまで重く見るのですか」
と感じられることがあるかもしれません。

それには、はっきりした理由があります。

それは、
私自身が親として、子どもを児童発達支援や放課後等デイサービスに通わせていた時に、つらかったこと、分からなかったこと、置いていかれたと感じたことを、今のふきのこでは絶対に繰り返したくないから
です。

私は、支援者である前に親でもあります。

だから、
理想として「こういう事業所でありたい」と考えているだけではありません。

むしろ、
親として実際に
「これは苦しかった」
「これは本当に困った」
「これが分からないのはつらかった」
と感じたことが土台にあります。

そして、その経験があるからこそ、
今のふきのこで
絶対に省かないこと
があります。

私が親として一番つらかったのは、「預けているのに何も見えない」ことでした

子どもを事業所に預ける時、
親が本当に知りたいのは、
単に「無事だったか」だけではありません。

もちろん、無事であることは大前提です。
それは当然です。

でも、親が知りたいのはそれだけではない。

今日、何をしていたのか。
どんな表情だったのか。
何に興味を示したのか。
どこでしんどくなったのか。
どう関わってもらったのか。
何が難しかったのか。
何が少しでもよかったのか。

つまり、
わが子の一日が見たいのです。

でも、私が親として経験した中では、
そこが見えないことがありました。

連絡帳には、
「機嫌良く過ごしました」
「落ち着いていました」
という一言だけで終わっていることがありました。

その言葉が間違っているとは言いません。
でも、親としては、それでは何も分からなかった。

機嫌良くって、何をしていたのか。
落ち着いていたって、どんなふうに過ごしていたのか。
本当に安心していたのか。
ただ静かだっただけなのか。
何に取り組んだのか。
何が支えになっていたのか。

そこが全く見えない。

預けているのに、わが子の時間が見えない。
これは、想像以上につらいことでした。

「機嫌良く過ごしました」では、親は安心しきれないことがあります

親は、短い言葉で安心できる時もあります。
でも、いつもそれで足りるわけではありません。

特に、
重度の子、
強度行動障害のある子、
発語が少なく自分で出来事を伝えにくい子では、
親は家庭以外でのわが子の姿を、連絡帳や共有から受け取るしかないことが多いです。

つまり、
連絡帳が薄いということは、
親にとって
子どもの一日が見えない
ということでもあります。

親は、ただ「無事でした」と言ってほしいのではありません。

むしろ、

  • 今日はどんな活動をしていたのか
  • どこで笑顔が見られたのか
  • 少し難しかった場面はどこか
  • どういう支援で戻れたのか
  • 家庭でもつながる視点は何か

を知ることで、
初めて安心できることがあります。

私は、親だったからこそ、
「きれいにまとまった一言」だけでは届かないものがあることを知っています。

私が本当に苦しかったのは、「異変に気づけないこと」でもありました

見えないことの怖さは、
単に情報が少ないことでは終わりません。

私自身、
親として忘れられないことがあります。

一つは、
水分が十分に取れておらず、
かなりしんどい状態で帰宅したことです。

もう一つは、
公園へ出かけて全身を蚊に刺され、
結果として救急へ行くことになったことです。

こういう経験をした時、
私の中で強く残ったのは、
「もっと早く知りたかった」
「事前に分かっていたら見方が違った」
「親として受け取るべき情報が抜けていた」
という感覚でした。

これは、
誰かを責めたいという話ではありません。

でも、
親としては本当に思います。

事業所で起きていたことが、必要な形で共有されていれば、帰宅後の見方も、受診判断も、家庭での受け止め方も変わったかもしれないと。

だから、今のふきのこでは、
異変につながるかもしれないこと、
少しでも気になる変化、
家庭での見守りに関わることを軽く扱いません。

親は「専門的な言葉」より、「わが子の姿」が知りたい時があります

支援の現場では、
専門的な視点や評価は大切です。
もちろんそれは必要です。

でも、親がまず知りたいのは、
難しい用語ではなく、
今日のわが子がどう過ごしていたのか
です。

どんな場所で、
どんな表情で、
何に手を伸ばして、
どこで止まって、
どう戻って、
何が楽しかったのか。

私は、親としてそこが一番知りたかった。

だから、今のふきのこでは、
できるだけ
情景が浮かぶ共有を大事にしています。

それは、文章を長くしたいからではありません。

親にとって必要なのは、
抽象的なまとめではなく、
わが子の一日が見えること
だからです。

親は、子どもの「今」だけでなく「意味」も知りたいことがあります

親として預けていた時、
もう一つ知りたかったのは、
「今日それをした意味」でした。

色分けをした。
散歩に行った。
ボール遊びをした。
制作をした。

活動名だけでは分かるようで、分からないことがあります。

でも、
そこに

  • 目と手を合わせる力
  • 見て待つ力
  • 見通しを持って動く力
  • 切り替えを支える経験
  • 感覚を整える意図

といったねらいが見えると、
親の受け取り方はかなり変わります。

「今日はこれをした」だけではなく、
「こういう意味で支援していたのか」が分かると、
親はその時間を“ただ預けていた時間”ではなく、
意味のある支援時間として受け取りやすくなります。

私は親として、
そこを知りたかった。
だから、今のふきのこでは
活動のねらいもできるだけ伝えるようにしています。

親は「困りごとの答え」だけでなく、「見方」を求めていることがあります

親は、毎日家庭で子どもと向き合っています。

だから困りごとが起きた時、
すぐに完璧な答えが欲しいというより、
まず
「どう見たらいいのか」
を知りたいことがあります。

この不安定さは何なのか。
これは疲れなのか。
感覚なのか。
排泄前なのか。
見通しの問題なのか。
関わり方が重いのか。

私は親として、
答えそのものより、
わが子に何が起きているのかを見る視点
が欲しかった時期があります。

だから、今のふきのこでは、
ただ出来事を並べるのではなく、
「どう見ているか」も共有することを大事にしています。

それによって、
親が次に家庭で子どもを見る時の解像度が少しでも上がるなら、
それは大きな意味があると考えています。

今のふきのこで、私が絶対に省かないこと

親だった私が、
今のふきのこで絶対に省かないことがあります。

それは、

  • 子どもの一日が見えること
  • 異変や違和感が分かること
  • 活動のねらいが分かること
  • 支援者が何を見ていたかが分かること
  • 家庭での見方につながること

です。

逆に言えば、
私はもう
「機嫌良く過ごしました」
「落ち着いていました」
だけで終わる共有には戻れません。

なぜなら、
親としてあの見えなさを知っているからです。

わが子を預けているのに、
何をしていたのか分からない。
何が起きていたのか分からない。
異変の手前すら見えない。

その状態が、親にとってどれだけ苦しいかを知っているから、
今のふきのこではそこを省きません。

ふきのこの連絡帳と共有が細かいのは、理念ではなく実感からです

ふきのこの連絡帳や保護者共有が細かいのは、
単に丁寧に見せたいからではありません。

理念としてきれいに語ることもできます。
でも、本当はもっと生々しいです。

親として足りなかったものを、今ここでは足りないままにしたくない

その実感があります。

だから、
情景が伝わるように書く。
異変が分かるように伝える。
活動の意味が分かるようにする。
思いつかなかった見方まで渡す。

それを大事にしています。

実際、保護者の方からは

  • 情景がわかる
  • 異変がわかる
  • 思いつかなかったことがわかる
  • 活動のねらいがわかる
  • ためになる
  • 勉強になる

といった声をいただくことがあります。

これは、文章量の話ではないと思っています。

親が本当に欲しいものに、少しでも近づけているかどうか。
そこが大きいのだと思います。

ふきのこの支援観は、親としての違和感からもできています

ふきのこの支援観は、
支援者として学んだことだけでできているわけではありません。

親として感じた違和感、
苦しさ、
足りなさ、
置いていかれる感じ。
そうしたものも土台にあります。

だから、ふきのこでは
支援そのものだけでなく、
共有、記録、連絡帳、保護者とのやり取りまで含めて
支援だと考えています。

それは、こちらの支援観シリーズにもつながっています。
ふきのこの支援観

また、支援全体の土台になる考え方は、
こちらでもまとめています。
強度行動障害の支援方法|爆発前・爆発中・回復期の具体対応と判断設計

ふきのこで大切にしていること

今のふきのこで、私が絶対に省かないのは、
親にとって本当に必要なことです。

そうではなく、

  • 預けている時間が見えること
  • 子どもの姿が具体的に伝わること
  • 異変や変化に気づけること
  • 支援の意味が分かること
  • 親が家庭で子どもを理解しやすくなること

を大切にしています。

大切なのは、
無難にまとめることではなく、
親が置いていかれない共有をすること
です。

ふきのこの支援や事業所の概要については、
こちらをご覧ください。
ふきのこについて

まとめ

親だった私が、今のふきのこで絶対に省かないのは、
親として実際に
「何をしているのか分からない」
「機嫌良く過ごしましただけで終わる」
「異変に気づけない」
という苦しさを経験したからです。

だから、今のふきのこでは、
子どもの一日が見えること、
異変が分かること、
活動の意味が分かること、
家庭での見方につながることを省きません。

大切なのは、
きれいに報告をまとめることではなく、
親がわが子の時間から置いていかれないことです。

そのために、ふきのこは共有も連絡帳も軽く扱いません。
それもまた、子どもと家族を支える支援の一部だと考えています。

「親だった私が、今のふきのこで大切にしていること」シリーズ

私自身が親として感じてきた苦しさや違和感は、今のふきのこの支援や共有のあり方に強く影響しています。
このシリーズでは、親だった私だからこそ、今のふきのこで絶対に省かないこと、大切にしていることをまとめています。

       強度行動障害の支援方法を体系的にまとめています

       ▶ 強度行動障害の支援方法【構造・前兆・実践まで解説】        

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