事業所立ち上げへの思い(顧問楊)

事業所立ち上げへの思い(顧問楊)

「3秒すら目が離せない」

3秒でも目を離すと、テレビを壊す、壁に穴を開ける、布団を破り中綿をぶちまける。

3秒目離したすきに、裸足で家を飛び出し数キロ離れたコンビニエンスストアまで、一心不乱に駆けていくことがあった。

目を離していなくても、隣で落ち着いていたかと思えば、突然取りつかれたかのような何かのスイッチが入り、冷蔵庫の中をひっくり返し、調味料を布団にぶちまけることも頻繁にある。ベットの上には、その時の「お気に入りのもの」を持ってきては「コレクション」しなければ、落ち着きを保てず、四六時中多動が止まることはない。

眠りも浅く、夜中も頻繁に起き出すことがあり、まったく気は抜けない。毎晩2時間しか眠れない日々が続く。

自閉症の人の多くは「一定の環境を整えた部屋で1人の時間を設ければ、クールダウンする」とされるもの、収まるどころか自傷行為を繰り返し、部屋中を壊しまくるなど、いわゆる自閉症の定石は全く通用ることはなかった。

パニックが収まらないときは、いつ何時であろうと抱っこして街中を途方もなく数時間歩き回ることや、数時間あてもなくドライブしたりしなければ決して落ち着くことはなかった。

これらはマンガや映画のなかの話でことではなく、私が実際に体験してきたことである。

強度行動障害という地獄。

わが子は最重度の知的障害を伴う自閉症であるとともに、こう言った典型的な強度行動障害の症状もある。

知的障害を伴う自閉症のなかでも、日常的にこういった行動を起こす「強度行動障害」は1%程度とされている。

一般的にはその子の障害の特性と環境とのミスマッチが行動の問題をさらに大きくしてしまうことがあると指摘されている。

少しでもわが子の生きづらさ、苦しさと自身の疲労を和らげるために「自閉症」「知的障害」「強度行動障害」「発達障害」「療育」というキーワードがつくありとあらゆる書籍を読み込んだ。そして、わが子に少しでも落ち着ける環境をと家の引っ越し、リフォーム、模様替えなどできる事はなんでも行った。

早期発見と早期療育と社会との矛盾。

学ぶうちに自閉症等の発達障害には、早期療育、早期介入が重要だという事がわかった。出来るだけ早いうちに適切な方法で支援や介入を行うことにより、障害のある子どもが、生きづらさや苦しむことを少しでも緩和し、社会で出来る限り自立した生活を送ることが出来るようにすることが重要となっています。

早期療育をするためには出来る限り早期発見する必要があります。

わが子は医師の診断を受ける前、僅か1歳程度で異変にすでに気付いていた。そこで早期療育が必要だという事で、未就学でも通所が可能な公的な療育センターや児童発達支援事業所を探した。

結果、児童発達支援事業所は65件以上で通所が断られた。

療育手帳の最重度のA判定であることや、重度の知的障害であることで入所を拒否された。手がかかりすぎるので安全性を担保できないなどの理由だった。

中には「うちはプログラミングを取り入れた児童発達支援なので、自分で何も出来ないような子どもが通う様なところではありません」などと電話口ではっきりと言い放った事業所もあった。

児童発達支援事業所は、児童福祉法に基づくサービスで、その利用料の大半は地方自治体が負担することとなっている。

それにも関わらず、あたかもエリートを養成する幼児教室かのごとくふるまい、重度である障害児に対して通所を拒否するなど勘違いも甚だしいのである。

今は何も自分でできない子どもかもしれないが、発達の支援を行い、十分な信頼感関係を築いて、ゆっくりとでもひとつづつ出来ることを増やしていく努力を行うのが地方自治体の指定許可をうけた児童発達支援事業の役割なのである。

この様に結局、障害がある事を早期に発見したにもかかわらず、現実問題として早期療育が出来る環境を確保するのは非常に難しい状況となっているのである。

実はすべて断られたわけではなく、いくつかの施設には通所できたが、見守り型と称して、狭い部屋の中で泣こうが喚こうが放置しているような施設ばかりだった。あとは、安全面での配慮や措置が甘く、児童が勝手に施設から飛び出し不幸な事件がおきたことも身近にあった。

このままでは確実に孤立する。

いわゆる見守りが難しく、家でも外でも目や手が全く離すことができない。さらに、通所できる施設も見つからない。そうなると地域での付き合いどころか、親族や友人とでも少しの「会話」すらも出来ない状態が続いた。

このままでは完全に家族だけで孤立してしまう。

療育の旅に出る

新しくできた施設を見つけては、断られる日々が続く中、決断する。

「そうだ全国の療育施設をまわってみよう」

北は北海道から南は沖縄まで子どもを連れて、療育の旅にでた。同時に、実際の現場を経験しようと障害者施設や高齢者施設にてボランティア活動をおこなった。

全国の施設をまわる中でたくさんの福祉関係者や同じ悩みや想いを持つ親達と出会い、その中で「希望する真の療育施設が無いのなら、作ればよい」となって。有志を集めて児童発達支援・放課後等デイサービスの多機能型訓練事業所を開設した。

障害との出会い

私は2008年より行政書士事務所として独立開業している。

専門分野は外国人法務で日本に住む外国の方やその家族の法務から日常の生活相談まで多岐にわたった。当然、その相談の中には外国人が絡む渉外戸籍の実務や、相続、遺言、後見人と言うものも多かった。

日々様々な相談を受ける中で、障害のある子どもに関する相談を受けることも少なくなかった。
主に、利用できる制度の相談、行政手続き、行政との折衝、療育施設や学校入通所と多岐にわたる。

「行政側の知識不足により、片親が日本人であるにも関わらず、無国籍になってしまい慌てて相談に来る方もいた」

「子どもに障害があるにもかかわらず、在留資格(ビザ)の許可がおりず、日本で一緒に暮らすことが出来ず困って相談にきた方もいた」

「子どもに障害があるので小学校に入学するには支援学校しかないといわれた」

など、これらは全て誤りであり、都度行政側と折衝しこれらを全て解決してきた。

福祉施設の支援

自身の子が重度の知的障害を伴う自閉症であったこともあり、児童発達支援・放課後等デイサービスの多機能型事業所を立ち上げると同時に、行政書士事業の柱として外国人の支援に加えて、福祉施設の支援も行った。

当初はそれが間接的に同じ悩みをもつ障害のある子どもやその家族の手助けになれば嬉しいとおもったからです。

しかし、実際に福祉施設などの支援をしていると、子どもたちを直接支援している従業側とビジネスの一環として障害施設を運営している経営側との考え方の乖離があまりにも大きい事を目の当たりにした。

多くの経営側は「利用者の目線」や「育てている保護者の目線」すっぽりと抜け落ちてしまっている。

支援する方向の転換

こうして自身と子どもの孤立を防ぐために始まった療育の「旅」でしたが、いつしか周りを巻き込み同じような悩みや不安を抱える人たちの問題を解決する場、本当に必要なタイミングで必要なものを提供できるように、あらたなる「旅」をスタートすることになった。

合同会社玲瓏では私自身が

過去にあればいいなと思ったモノ
今あれば助かるモノ
そして将来あると嬉しいモノ

この3つのモノを

障害児をもつ親としての視点
行政書士としての視点
福祉施設所長としての視点

この3つの視点を掛け合わせ「徹底的な利用者目線で福祉制度の枠にとらわれない」サービスを追求し提供していきたいと強く思っています。
そして、今後も同じ悩みも持つ方たちと繋がり、互いに支えあい、必要なモノを一緒に創造していければいいなと強く願っています。

最後に

わが子に障害があることを知ったとき、それは通常では計り知れないショックが襲ってきます。きっと簡単に受け入れることはできず、怒りや落ち込みの感情がわいてくるかもしれません。
しかし、残酷なことに否応なしに時間は経過していきます。

私たち障害のある子どもと育てる親はそれでも生きていかなければいけないのです。
たとえ、今は全てを受け入れることが出来なくとも、ゆっくりとでも前を向いて進まなければなりません。

日本はいわゆる療育に関する制度や考え方は、障害者福祉先進国に比べればまだまだ万全であるとは言えませんが、ある程度の制度や福祉の枠組みは整っています。
しかし、その制度を知らなければその枠組みに漏れてしまうことがあるのが現状です。

この様な悩みや不安はありませんか?

「わが子の障害は治るのか?」
「療育は必要なのか?」
「どの療育がわが子に合っているのか?」
「どこに相談すればいいのか?」
「どのような福祉制度があるのか?」
「療育手帳は持っているほうがいいのか?」
「親なきあと子どもはどうなってしまうのか?」
「預貯金はいくら残せばいいのか?」

ぜひ、私たちと一緒に不安の解消や問題の解決を図っていきましょう。

その他、障害のある子どもとその家族のあらゆる相談窓口として、ぜひ私たちをお使いいただければと思います。

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